昭和20年、空襲で焼け野原となった仙台駅前に多くの露店が立ち並び、そこに誕生した通称「青空市場」が、仙台朝市の起源と伝えられています。 その後、日本は高度経済成長時代に入り仙台駅前地区の都市化が進むなか、仙台朝市は生鮮食品市場として残り続けました。 1985年(昭和60年)には「仙台朝市通り商店街連合会」が発足し、商店街として初めて組織化が行われ、 1992年(平成4年)には「仙台朝市商店街振興組合」へ発展し、現在に至っています。


昭和20年代

昭和20年(1945年)、仙台朝市の歴史は、空襲で焼け野原となった仙台駅前に並んだ露店、通称「青空市場」から始まると言われています。
戦後の絶望と混乱の中にあり、そこから立ち上がり歩み始める人たちの生活を支える大切な場でもありました。

昭和20年代

昭和40年代

主婦やお店の経営者など、多くの人が買い物に訪れる朝市は、昭和45年(1970年)頃まで路地売りでした。
仙台の街並みが変わりつつある中でも、店先での会話は料理の仕方など、日々の生活に役立つものばかり。

昭和40年代

昭和50年代~平成

季節に合わせて全国の旬の品々が並ぶ仙台朝市。昭和60年(1985年)には仙台朝市通り商店街連合会が発足し、仙台の台所として大きく発展していきます。 時代が昭和から平成に代わり、観光名所として全国、あるいは海外からも多くのお客様が訪れるようになっても、 今も昔も変わらない市民に愛される朝市としての風景がそこには広がっています。

昭和50年代~平成

震災以降

平成23年(2011年)3月11日に県内に甚大な被害を及ぼした東日本大震災。 ライフラインが寸断され、被害の全容さえ見えない状況が続く中でも、仙台朝市では発生数日で多くの店舗で店先に商品を並べ、訪れる人々に食料品などを提供し続けました。 春はまだ浅く、厳しい寒さが続く時期ではありましたが、朝市には早朝から多くの人が列を作りました。 普段の活気とは全く違う営業ではありましたが、そこに並ぶ商品の数々は、訪れた人に安心感を与えるものだったに違いありません。

2019年、元号が令和に改まって現在に至るまで、仙台朝市は商人の活気と心意気そのままに、 食を通した文化を今に伝え、市民の皆さまに愛され、市民の皆さまを愛する仙台の台所として営業しています。

震災以降